のんたんの独りゴト

丹野恵美子のブログです。フルートを吹いたり料理作ったりどっかいったりしている記録と、ごまめの歯ぎしりの記録です。

礎っていい日本語だと思わない?

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感動の包括的な構造モデルはストーリー性があるものとないものに分かれていて私はストーリー性があるものに対して過不足はないが、ないものに関する感動のアクセスに欠陥があって、それがなぜなのかもわからなかったし、思考や行動のリズムも定まっていないから戸惑っていたことがかなり多かった。かつ、そのリズムが定まっていたとしても、もやがかかる原因がどこにあるかが定まらなかったんだけど、結局は専門知識がないことだった。自分の専門と同じくらいの専門性を他分野で求めた場合どうなるか?ってこと。そりゃ、10歳から例えば22歳まで必死こいてやってたことに比べたら差があって当然だよねー。そうすると何が重要か。どこでも基本、基礎なのである。

教育が上流に進むにつれ専門の細分化がそれ以上に行われるから、細分化をすることによって凸凹をならすことはよっぽど意識していないと不可能に近くなっていく。人によってその凸凹の最低ラインがどこなのかは結構シビアにわかってきてしまうし、得意不得意だってあるとなればどこの何に時間をかけるのかは非常に重要な気がしてならない。問題はそれが生きていくこととは別の問題になり得るから何が原因かわからない人がいて悶々としていてもおかしいことではないと思う。

そういやあ、私は基礎というfoundationとbasicのニュアンスがイマイチ理解出来ない。どっちかっていうとfoundationのニュアンスを基礎に使うことが多いんだけど基礎っていうより礎って表現した方が伝わりやすいんじゃないかな?と思っていますが実際のところはどうなんでしょうか?