のんたんの独りゴト

丹野恵美子のブログです。フルートを吹いたり料理作ったりどっかいったりしている記録と、ごまめの歯ぎしりの記録です。

夕食でのトピック

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さて。昨日の晩ごはんの話題は、自分を大切にするためにしていること、でした。自分を大切にするって自分に対してある程度敏感になること=自分にとっての快不快を見極めるというところから始まるんだと思うのだ。しかも大切にするためにする、というのは受動的ではなく能動的な活動のことであるため、これはやらないと決めたことをやる、も含まれるのである。

自分が不快に感じることを突き詰めてみると、自分の特性を知ることが出来る。細かく言うと、お風呂の床の冷たい水が苦手、とか身体がこわばっているのがしんどい、など基本的には五感、身体的な快不快又は精神的な快不快があり、その原因として内部要因と外部要因での切り分けが可能なのである。

例えば食事にも合う合わないがあり、その中にも味が口に合わないものと、味は好きだが身体に合わないものもあるのだ。そうなると五感で感じることとアウトプットでわかることと出力結果が2種類に分かれる。で、大抵の場合五感はわかりやすいのだがアウトプットは麻痺しやすい。なぜなら人は何かを感じた瞬間の違和感や違いは時間の経過を待たずに結果を認識出来るが、時間が経過したものについて因数分解していくためには記憶とそこから紐付けできる継続して観察したデータが必要だから、なのではないだろうか。また、別の外部要因に影響されている、といったこともあるので複雑なものをシンプルに、といったことは不可能に近い、というか、複雑な問題を紐解くのが最適解な気がするので、もっとシンプルに、という注文が入った場合は割といつも疑問が湧いたりする。なぜなら、人間生活自体、シンプルな生活様式で過ごすためにはある一定の条件をクリアしているという前提があるからで、その前提をクリアするためにやらなきゃいけないことに対して道筋がないままシンプルにって言われてもねぇ、と冷めた目で見てしまったりするのだ。もちろん、道筋は自分で作ることは可能であるが、その道筋を説明した上でのシンプルさとただのシンプルは違うものな気が私はしてしまうのだ。

そんなわけで私が自分を大切にするためにすることにはたくさんの種類があるため、夕食の時間で話すトピックではなかった。世間話が苦手なのも特性の1つかもねー。