のんたんの独りゴト

丹野恵美子のブログです。フルートを吹いたり料理作ったりどっかいったりしている記録と、ごまめの歯ぎしりの記録です。

備忘録

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秋刀魚がちょうど収まるお皿がなかったのでお皿の面積だけ大きな今日の晩ごはん。お味噌汁はキャベツと人参、たまねぎ。

自主性について考えていた。よく本人の自主性を尊重とか言うけど、私はそれを聞くたびに、あなたのいう自主性ってなんですか?と思ってばかりいるのだ。良し悪しの判断、というのはとても難しいことで、その判断が出来るようであれば自主性を尊重するというその人(いわゆる指導者や先生という立場の人)そのものが必要ないんじゃないかと思っているのだ。例えば何かをやる(目的)があって、それに対してやり方(手段)を説明して、そのやり方に沿って実践する上で、必要な準備や時間というものが割り出される。割り出された「それ」をやるかやらないか、に関して、その目的を達成したい場合はやるしかないし、達成を必要としていなければやらなくてもよいし、といった本人の意思に関しての自主性という解釈であれば、尊重してもいいかとは思うが、自主性を尊重すると言っている大概の場合は、目的と手段が噛み合っていないことが多いのではないだろうか。

そもそも、先程難しいと言った通り、物事の良し悪しというのは相当な鍛錬を重ねないと見つけていけないものである。その鍛錬とは、自分の考えを持ちながら(仮説)柔軟に取り組んだ上で(計画、準備)経験して(実行)判断することであるので、そもそもこのルーティンをこなすだけでも割と大変なのである。大人でも仕事でPDCAサイクルが大事です、とかフレームワークがどうたらとか言ってるんだから、それを学生が回せると逆に思うのかなぁ?っていう疑問。いや、義務教育とかでそういうの学んでいるならもちろん別ですが。これからプログラム教育が必修になるとなった場合、オブジェクト指向とかフレームワークが当たり前になる、というのであればもちろん話は別です。

それが出来た上で自主性を尊重、と言うのなら納得できるが、それがない状態で自主性を尊重と聞いても、はて?となってしまうのだ。

まぁ、散々偉そうなこと言っていますが、私も気を付けようということで、備忘録。